新卒採用が始まりまる秋になりましたね

もう既に十分に出遅れているような気がしますが、今年も新卒採用が始まりました。ソフトウェア会社の80%は100名未満の会社だそうですから、弊社の場合、かろうじて恐竜の頭の終わりあたりにいるのでしょうか。今年は、デザイン部門が忙しくて、自社のホームページもさっぱり更新が出来なくてこんな状況でどうしたものかとても心配している。見た目は大切だものね。

3Kキツイ、クルシイ、キビシイ・・・・(狂ってるとか言う人もいるそうだ)といわれるITサービス業です。もっと大きい会社に入ることもできるでしょうし、なによりも弊社は試験が沢山ありますからね・・・
適正試験が2パターン、一般常識、技術試験・・・この筆記の4科目で総合評価となっています。技術試験は、かなり低くても入社できますが、その人はよほど常識が高いか、適正が高い人と言うことになります。(伝説のSEのM先輩は、なんと適性検査の時間が余っていたらしい・・・)常識試験が高い、Nさんとか文系の人も比較的入社試験は通り易いほうだと思う。グループ面接と作文と社長面接という感じでまず、社長面接で落ちる人はめったにいないかもしれない。

社長面接のポイントは志望動機で、この仕事をどのようにとらえてどのように考えて応募しているかということに尽きる。私は、できれば一生この会社で働くつもりで入社して欲しいと今も(この時代であってもと言う意味)願っている。また、入社した社員に対してそういう覚悟を持って(愛情を込めて、自分の持つ全ての能力と、我々の会社にいるみんなの思いをかけて育てるということ)入社を決めているつもりだ。・・・たとえ、この会社を離れていくことになったとしても、確かにその時にできる範囲でのことはし尽くしたと言えるようにしたい。して来たつもり・・・。だから、真剣にこの仕事に打ち込める人、ものを創る仕事をお客様にサービスを提供する仕事を望む若者を採用したいと思っている。少し、自慢すると今まで私は、それ(採用)は上手くやってきたように思う。・・・・私にとって、社員のひとりひとりは自慢できる存在で、いつだってその良いところを幾つもあげることができる。まだまだ、沢山成長して欲しいのでなかなか面と向かっては言わないけれども。いつも、そのポテンシャルの高さと優しさとがんばりやなところと素直なところに救われて今まで来ることができたと感謝している。

だからこそ、どうしたら上手くみんなの望む仕事をとって来て、みんなに幸せに仕事をして貰えるのか・・・それが私の最大のテーマなのだ。「デットエンド」というプロジェクト管理をテーマにしたトムデマルコの空想小説があるけれども、私はあながち否定できないと思っている。もともとの技術レベルが高いメンバーを集めて、プロジェクト管理技術が高くなればきっと付加価値の高い仕事を安々とこなしていけるに違いない。現実に、我々の技術力は今のところ世間では高い評価を頂いているようでもある。

ただ、今のところいろいろな面での問題は、何割かの優秀なエンジニアがその目的意識と技術力と責任感を持って仕事に取り組んでいるから表面化していないのではないか・・・そんなことを考えることもある。ここでもやはりパレードの法則が成り立つのだろう・・・20%の優秀なエンジニアが、全体をリードしてがんばってヒューマンシステムのサービスを支えている。

アジャイル開発がいっせいを風靡している昨今、よくいわれる話だが、システム開発においては本来、数名の仕事のできるエンジニアが仕事をしているだけで、だから、こういう開発のほうが有効なのさ!アジャイル開発も否定はしないけれども、特に、リファクタリングという考え方などは我々の会社でもJAVAの開発では取り入れていることではある。派生開発や改修、パッケージの開発などについては、あながち少数のエンジニアでものをどんどん創っていくことも否定はできない。創りながらの閃きを否定することなどできない・・・私も、仕様書より創るほうが早いと主張しては先輩によく叱られた方だから・・・。

しかし、それは今のITサービス業の現状いわれている問題の全てを解決する方法なのだろうか?プログラムを創る前に論理的なロジックを考える技術は身についているのだろうか。基礎的な技術は、理解されているのだろうか?仕事の進め方は、大丈夫なのだろうか?・・・・もっと言うと、人としてチームで働いているその場をきちんと理解して、そのチーム(=プロジェクト)の目的にかなう方法を選択しているのだろうか・・・ロジカルに物を考える技術は、プログラムを1年もぎっしりと勉強すするとかなり身につくものだった。最近は、なにか違うことがあるような気がする。それは何故なのだろう。

仕様書を書くということは、あるべき姿を分割して、さらにひとつひとつの機能(目的)に分割してロジックの世界と結びつけるものだから、お客様とプログラムを繋ぐ唯一のものだから。仕様書を書くことで思い通りのシステムが組めるようになることを・・・たとえば、言葉が判らない人だとしても、遠くにいる人だとしても仕様書を読むことで自分の創るプログラムの目的を理解できることが大切なことだと思う。

そういう仕様書を読んで、育てられたからこそ1年弱で仕様書が書けるようになり、3年も経てばお客さんのところで打ち合わせで説明できるようになる・・・。そうして自分も育てられたのだと気がついた。
そんな時に、日本語の力を知ることになるのだが・・・・「よみ、書き、計算」って藤原正彦先生も「国家の品格」の中で仰っていますね。最初に必要な勉強は、そんなことなのかもしれません。若いみんな、新しい人が入る前に芸術的な仕様書を書けるようにがんばろーね。仕様書も自分の作品ですから。